かものはし日記9月号


9月1日

表紙を変えました
イラストに添えた俳句は俳人の如月美樹さんの作品
「天の川越えて友達だつたひと」
かつて仲のよかった友人
些細なことで仲違いか、もしくは疎遠になって
近くに住んでいるのにもう会うこともない
天の川を越えて会いに行かなければならないほど遠い存在になってしまった友人
でも星をとおしてまだ友人とはつながっているはず
友人だってきっとそう思っているはず
そういう思いで人は空を見上げている
人は孤独なとき空を見上げる
そして星をとおして人とのつながりを確認する
会った瞬間に嫌いになった人も
会った瞬間の0.01秒前は友人だったはずだ
初めて会う人は最初はみんな友人なのに
そして空を見上げて
嫌いになったことを少し恥じる

9月2日

口内炎ができる
夏の疲れをなめてはいけないと
口内炎はささやく
最近野菜をあまり食べてないなと
口内炎はちょっとせめる
(今日はニラをいっぱいたべたよ)
この夏の
君の中で起きている「変化」は
君が思っている以上に
心に
体に
負担をかけていたのじゃよ
君は少し鈍感だから
気付かないようなので
わしが知らせにきたのじゃな
と口内炎は賢者の様な語り口で言う
ありがとう
あんたがやってくるたびに
いつもいろいろなことを考えるよ
何千回もね(笑)
ひりひりしながら
そして
今回は今までとは少し違う結論に至ったよ
それはね
もう孤独の中に逃げ込まないということ
あんたに誓うよ

9月3日

朝の散歩で
カラスがセミをくわえて飛んでいるのを発見
セミはカラスの命となって共に生きる決意を
ジージーという最後の絶叫で表明
都会でこんな光景を目撃するとホッとする
猫たちやカラスが
人間の出すゴミをあさっている姿を見るのは
とても辛いし
とても申し訳がない
と、いつも思う
動物たちの野性のプライドを踏みにじったのは
ぼくらだから
そういう状況の中で
都市の中にも食物連鎖らしきものがまだ
残っていると思うと
ほんとに
ほんとに
ホッとするのでした


昨日あたりからようやく涼しくなって
街全体を包んでいた
エアコンの低周波音が消えた
聞こえるのは虫の声
風にそよぐ葉の音も聞こえてしまう
窓が開け放たれているせいか
遠くの方から聞こえる電話のベル音
はい、というくぐもった返事
元気な中国語
パソコンのファンの音がやけに大きく聞こえるが
エアコンの低周波音が消えただけでも
東京は
1パーセント、森になった

9月4日

誘われて宝塚
宝塚初体験のため少しおどおどしながら会場へ
芝居とショーの二部構成
芝居「螺旋のオルフェ」は
僕の持っていた宝塚のイメージとはほど遠い渋い芝居
幻想的でハードボイルドな雰囲気が素敵
(男役の顔の区別がほとんどつかないので、声の違いで判別)
メインのショー「ノヴァ・ボサノヴァ」は
豪華絢爛
これぞ宝塚という感じ
めくるめく様に展開が変わる
SF的に言えばワイドスクリーンバロックという手法だ(笑)
20キロもある羽根飾りを付けて
おねえさま方が踊るわ歌うわ
観ていると嬉しくなります
(ラインダンスもあったし)
女子プロレスリングを初めて観たときもそうだけれど
みんな命をかけて演じている
そんな生命力に感動しました
(男性客もちらほらいた)

9月5日

朝から少し熱っぽくて
ハイアップとカッコントウを買いに薬局へ
もう日差しにさすような鋭さはなくなり
熱っぽさでふらふらするせいか
なんだか気持ちがいい

夕方
近所のカレー屋さんでコロッケカレーとサラダ
ここのカレー屋さんは
味に納得がいかないと休んでしまう
今日はあいててよかった
めちゃめちゃ個性的というわけではないけれど
丁寧に作っている感じが
ちょっとしたサラダから
スープに至るまでゆきわたっていて
好きなカレー屋さんです

9月6日

耳たぶを蚊に食われた

9月7日

電車に乗っていたら
真向かいに座っているにーちゃんが
タスマニアデビルのTシャツを着ているのを見つけて
すごくうらやましかった
タスマニアデビルというのは
オーストラリアのタスマニアに住む
アナグマで
凶悪な顔と凶悪な鳴き声のために
現地の住民に悪魔と毛嫌いされている動物
小さいけれどタスマニアの食物連鎖の頂点に位置していて
おれ的には
とてもかわいいと思っているし
とても愛している
ゆくゆくはおれの守護動物に加わる予定だが
ついこの間
カピパラを加えたばかりなので
もう少し経ってから
(もう予約済みなのでおれ以外の人間がおれの許可なしに
タスマニアデビルを守護動物にすることを禁じます(笑))

9月8日

友人が主宰する「東京耳たぶクラブ」の会合に出席する
案の定
2日前に耳たぶを蚊に食われたことを
叱責された
耳たぶクラブの会員は
常に耳たぶに
市販(コンビニで売っている)の耳たぶ袋をかぶせて
耳たぶを保護しなくてはならない
それを怠った私が悪いのだ
深く反省する

9月9日

背景とキャラクターがうまくなじまず
絵の描き直しを決意する

誰かの心の中に種をまいて
その人の心の中に花を咲かせられるような絵を描きたい
といつも思う
行為とは
自分以外の誰かの心に花を咲かせることだと
思っていたいと思う
プライドの使い方の下手な僕は
どうしても自分の中に花を咲かせ
咲いた花を少し遠くから相手に見せびらかそうとする
自分のプライドを自分の心の中で咲かせても
さして美しくないのはわかっているのに
相手の心の中に咲いたプライドという花は
本当に美しいのだ
(プライドは野性となる)
美しさを求める職業に就いているはずなのに
なぜ僕はそれを嬉々として実行しないのか
とても不思議だ

自由が丘のチベット民芸専門店で
胸に曼陀羅の描いてあるTシャツを見つけて大喜び
一説によると
僕の前世は
チベットで砂曼陀羅を描いていた坊さんらしい(笑)
でも
曼陀羅を見て懐かしいと思ったことは一度もないのだ
ただ
チベットのお坊さんの服を着るととてもよく似合う(笑)

9月10日

美しい女性たち3人に囲まれて
自由が丘でイタリアン
仕事を持って
男性を愛して
とても元気で優しくて凛々しい眼をした30代の女性たち
彼女たちの言葉に
発音に
耳を傾ける
やはり21世紀は女性の時代なのだなあ
と再認識する

ちょっと突発的な事故が起きる
0.1秒ほどパニックになるが
次の瞬間、状況を冷静に把握して対処する自分がいて
毎度の事ながら
自分のクールさにあきれる
もうちょっと感情に流されたい

9月11日

近所の神社でお祭り
出店の間をうろうろしながらお祭りの雰囲気を味わい
お賽銭をして
人類の平和と幸せを願い(うそ)
神社の近くのお好み焼き屋さんでもんじゃ焼きとキムチそばを食べる
となりの家族が
お好み焼きにソースを付けずに食べていて
ちょっと不気味

9月12日

今日もお祭り
遠くで
どんどこどんどこ
わっしょいわっしょいという音がこもって聞こえる
秋の空は高いのに
こもって聞こえるのは
残暑が厳しいから(笑)
まだまだ空気の「抜け」が悪い

今日の夕食は
シャケとショウガの炊き込み御飯がメイン

9回表
押さえの新エース桑田の投げたボールが
多分カーブのすっぽ抜けだとおもうけれどバッターの頭に当たって
危険球で桑田退場
巨人、絶体絶命のピンチにも関わらず
長島監督、次のピッチャーが出てくるまで
にこにこといつもの笑顔で審判と談笑
勝負師として何十年もプロ野球の世界で生きていたのにも関わらず
場違いな笑顔
予期せぬ出来事を心から楽しんでいるような笑顔に
ちょっと感動

9月13日

後藤よりTEL
今、FMで
敬愛している翻訳家の柴田元幸先生の
放送大学英語講座をやっているぞ、とのこと
(偉いぞ、後藤!)
アメリカ人作家のスティーブエリクセンを題材に
授業を進めている
先生のお声を初めて聞いたのも感動したけれど
内容もなかなか面白い
(テキストはあとで本屋に探しに行こうと思っている)
柴田先生が学生時代の英語の先生だったら
本当に英語が好きになったのに
と夢想するが
実は
僕は先生から学んだのは英米文学のおもしろさではなく
日本語の美しさだ
先生の翻訳文は
本当に美しい
来週はポールオースター

9月14日

僕も含めて僕の周りの人たちは
残暑が厳しいせいもあって
みんな夏バテ気味だけれど
巨人のルーキー上原は
天王山
ドラゴンズ相手に散発3安打完封
14試合連続勝利で今期18勝目
日本で元気なのはあなただけ(笑)

9月15日

この世の終わりのような夕焼けを観る
東京は台風の接近で雲が踊り
オレンジ色が龍のようにうねる


雨上がりのせいか
窓をあけると冷たい空気が流れ込み
とても気持ちがいい
今日はクーラーのモーター音を聞かずに
秋の風の中で
ゆったり眠れると思いきや
夜中に帰って来た階下の中国人のにーちゃんが
いきなり中華料理を作りはじめやがって
ぷーんと中華のにおいが立ちのぼり
眠れなくなる
夜中に中華料理を食べるなんて
お互いの健康のためによくないじゃないのか?

ということで階下の中国人との緊張度
1.5ゲーム差
(うそうそ、中日と巨人のゲーム差、やっと面白くなってきましたね)

9月16日

阿佐ヶ谷で
友人たちと飲みながら仕事の打ち合わせ
うまく企画が通るとうれしい

9月17日

キングクリムゾンプロジェクトのCD
3と4を買う
なんだかんだいってもなかなかよい
久々にプログレ魂が燃え上がる
なぜか?
若手ドラマー、パット・マステロットがよいのだ
じじいのビルブラフォードより俄然おもしろい
やっぱりロックはドラムだよね

9月18日

湯河原へ
かなり分不相応な高級料亭温泉旅館
(たまにはいいよね)
そこの観月庵という離れに泊まる
(8畳,6畳、テラス、内湯付き うちよりはるかに広い)
そして、なんと
夕食時に一匹の野良猫がやってきた
女将の話では
名を太郎といい
夕食と朝食の時間を知っていて
いつもお客さんから少しご飯をもらっているようだ
(皆さんがテラスの入り口付近にご飯を置いて猫に食べさせているせいか
油のシミが床にしみこんでいる)
当然僕も
魚系のおかずはほとんど彼にあげてしまった
(彼は毎日高級懐石を食べているんだね、贅沢だね)
猫のコンパニオン付き
(さわれなかったけれど)
すてきな旅館
(誰も彼を追っ払わないのがすばらしい)

9月19日

昨晩から太郎は観月庵のテラスで寝ていたようだ
人間が目覚めたのを察知したかのように彼も目覚めて
お行儀よくこちらをじっと見つめて座っている
(さすが高級料亭旅館付近を根城にする野良猫だけあって品がいい)
朝食の魚の干物をほとんど平らげて
(干物はほとんどあげちゃった)
すっかりご満悦
森の中へと消えていった
そして僕は
今日のお客さんも猫好きだといいな、と祈りながら
東京へ
そうそう
料亭旅館で何がおいしかったというと
梅干しが一番おいしかった(笑)
いやほんと
何を食べているのかわからないほどおいしかった
梅干しじゃないような梅干し
帰りの電車の中では
太郎のことばかり

9月20日

実は
あまりにおいしかったので
梅干しはおみやげに少し買っておいたのだ
一つは後藤に
もう一つは自分用
今、まさに
白いご飯と梅干しで夕食だあ
幸せ
人の生み出したものの中で
1番好きなものは「音楽」
3番目は「自転車」
そして2番目はこの梅干しだな(笑)

旅にでると思うこと
目的地(たとえば山の中の温泉宿)に着いて
こんな山奥に住んでいるなんて信じられないと思い
東京の我が家に帰ってくると
こんなごみごみしたところに住んでいるなんて信じられない
と思う
どっちも信じられない
どこに住めばいいんだ(笑)

9月21日

雲が厚く空を覆い
雨がしとしとと降る
猫が通りを横切り
車がいきなり急停車
そうそう
いつ何時猫が飛び出してくるかわからないのだから
ドライバーは細心の注意が必要だ

キングクリムゾンプロジェクト
やはり
よーく聞いてみると
即興音楽のふりをしているだけで
実はかなり構造的
リーダーのロバートフリップは
音楽は建築物だと説いているけれど
そろそろ
世界のいろいろなことを建築的に、もしくは構造的にとらえるのは
やめてほしい
もう飽きた
世界は人が築き上げるものではなく
世界はただ存在し
それを
しなやかに
能動的に
受け入れるのみ

9月22日

友人と電話
友人の住んでいるマンションの一階の本屋さんが
今日店じまいをしたらしい
近所の大資本本屋の進出が
いちばんの原因
(今年1年で1000軒の本屋さんが店じまいしたようだ)
大きい本屋、大きいスーパー、大きい・・・の進出が
町の小さい個性豊かなお店を駆逐していく
近所の商店街も閑散としちゃって
世界はますますシンプルに巨大化し
わかりやすく
きらびやかで
予想可能な未来を構築していく
複雑さは影を潜め
生命力は色あせ
関係性は断ち切られる
なーんて暗い声で話していたのだが
心の中では
世界は確実に素敵な方向に向かっているのさ
と楽天的な僕の本能がささやく

現実というのは
幻想の対局にあるものではなく
幻想が一番自由度を失っている状態が現実なのではないか
と思っているのだ、実は。
現実にもう少し幻想を足して
自由度を・・

9月23日

遅ればせながらスターウオーズを観る
ジェダイナイトの理念は
必然的にシスの暗黒卿(ダークサイド)を生み出してしまう構造になっている
ジェダイの評議会が
心に恐れを抱くアナキン少年を受け入れられないのならば
彼はダークサイドに向かうしかないのだ
最後に受け入れはしたが
なんか排他的なジェダイ評議会に疑問が残る
自分の中の恐怖やネガティブなものを受け入れて
コントロールしていくのが
真のナイトであるはず
アナキンを受け入れることが
ジェダイの理念のさらなる発展としてとらえている唯一の人物として
クワイ・ガイ・ジンを描いているのか
それともただの気まぐれなのか
ジェダイナイトの精神的背景がいまひとつわかんないので
楽しめなかった
ジェダイの理念はスターウオーズというエンターティメント映画の核となる部分
ただの空想戦争映画なら
ここまで多くの人たちを魅了することはなかったはず
メッセージやテーマがないといっているのではなく
ルーカスが何を大切にしているのか
それが伝わってこなかったのがちょっと残念
(あんたのおもちゃ箱に何がはいっているかは、もうわかったよ
でも
相変わらずのアナログ感覚は素敵だ)

9月24日

久々に新しいアプリケーションソフトを買う
GOLIVE
ホームページ作成ソフトだ
そろそろホームページをリニューアルしようかなと思って
高機能ソフトを買ったのだけれど
難しそうなので一気にやる気が失せた(笑)

9月25日

ブルクミューラーの「貴婦人の乗馬」というピアノの練習曲が
子供の頃から大好きだった
と言っても
レコードで聞いたことは一度もなく
子供の頃、近所の一つ年上の女の子が
一生懸命練習しているのを聞いて好きになり
今でも口ずさめる
(あんまり好きだったので、彼女のピアノの発表会の時
リクエストしたくらいだ)
最近では
数年前仕事場で
どこからともなく聞こえてくた
どこかのうちの女の子が練習していたのだろう
今日
とある女性があたしも「貴婦人の乗馬」が弾けるというので
聞かせてもらった
久しぶりに弾くらしくて
つっかえつっかえ思い出しながらでてくるフレーズは
まさしく貴婦人の乗馬だった
なぜなら
むずかしい練習曲らしくて
(ブルクミューラーのピアノ教則本の最後の曲)
僕は
完璧な「貴婦人の乗馬」というのをほとんど聞いたことがない
つっかえつっかえの未熟な「貴婦人の乗馬」が
僕にとっての「貴婦人の乗馬」なんだよね
ブルクミューラーには悪いけれど
完璧に弾きこなされた「貴婦人の乗馬」には
不思議と興味がわかない
(実はピアノの練習曲というのは女の子がつっかえつっかえ弾くことで
一番素敵に聞こえるようにできていたりして(笑))

電車の中で
乳母車にすごく偉そうに座っている赤ん坊を見つけて
思わず笑ってしまったが
こーゆー奴が大人になって
世の中のためにならないことをするんだよなと
勝手に思いこんで
思わずにらんでしまった(笑)
ごめんね

ダイエー優勝おめでとうございます
苦節五年
王監督の涙
僕らの世代は長島よりは王さんだ
思わずもらい泣きをしてしまったのを
人に見られる(笑)
こうなると日本シリーズはON対決を観たいが
中日と巨人のゲーム差は3.5
うーむ

9月26日

訳あって実家(鎌倉)に帰る
元船乗りの親父の話によると
映画タイタニックはよくできた映画ではあるが
船の描写は実際と違うところがたくさんあるらしい
(船室に補強用のリベットが打っていないとか・・いろいろ)
さらに父の友人で東大の造船科を卒業した人は
タイタニックを観ながら
間違っているところをその場でメモにとって
それを後でワープロに打ち直して
仲間内に配ってみんなで盛り上がっているらしい(笑)

いつも実家に帰るときは
鎌倉駅まで車で迎えにきてもらうのだけれど
今日は
久々に歩いて家まで帰った
徒歩40分の道のりをのんびり歩く
小町通りは観光地化しているせいか
昔からあるお店はほとんどなく
知らない町を歩いている感じ
子供の時に毎日歩いた通学路は
今通るとやけに狭く小さく見える
鎌倉宮にいる人なつっこい猫の頭をなでたら
喧嘩で受けた傷なのか
頭がかさぶたでぼこぼこ
君も大変だね

9月27日

東京で買えるものは
安心な未来という予測可能な時間だけ
観光地で買えるものは
東京の延長線上にあるなにがしかの雰囲気がある空間だけ
何の生々しさもない時間と空間
観光地と東京にしか住んだことのない僕に
いったいなにが描けるというのでしょう
なにも描けないかもしれないけれど
誰かを好きになることはできるのです
こんな世界でも
好きな人達がいる限り
この世界を愛しているのです

9月28日

シンプルさに
安心してはいけない
シンプルな美しさに
惑わされてはいけない
シンプルさに逃げてもいけない
やはり
世界は途方もなく複雑なのだ

9月29日

野生の女性性・・
来世紀の一番重要なテーマだと思っているし
僕らもずっと絵で表現したいと
取り組んできたのだけれど
なかなかうまくいかないのさ
そんなときボーグの日本語版に野生の女性をテーマにした
対談が載っていたのだが
野生の女性性がどうも女性の男性化に置き換えられただけというふうにしか
読みとれなくて、ちょっと残念
そうじゃねーんだよ
女性が男性化してどうする
それじゃ今までと同じじゃねーか
女性のまま野生化してほしいのだ
と言っても
僕に具体的なビジョンはないんだけれど

「自立」というのは
20世紀の近代自我の基本理念
でも
ほとんどの人が自立というバランス地点を通り越して
孤立に向かってしまう
ぼくもそう
だから
21世紀はもっと他人に頼らないとね
もっと人に甘えよう
来世紀は
「甘え上手」がいちばんかっこいい(笑)

9月30日

原子力発電所で事故
原子力なんて人間の手に負えるテクノロジーじゃないんだからさ
手に負えないものをさっさとあきらめるのも
知恵です
もう大量に電気使うのやめよう
ていうか
屋根に太陽電池とプロペラつけて
ソーラー発電と風力発電をしてなんとかまかなおう
さしあたり冷蔵庫さえ動けば後はどうにかなるでしょう
電車が止まってもいいんだよ
人間歩いていけないところには行く必要がないのだ
夜が暗くてもいいじゃないか
勉強しなくていいしさ
パソコンなんか使わなくていいんだよ
夜空をぼーっと眺めて
虫の音でも聞いちゃって
(プロ野球は昼間やれよ)
気がついたら朝だった
あーよく寝た寝た
俺はそういう生活がしたいな
もちろんみんなとね

癒しブーム
本当に人が人を癒せるのならば
その場所は
いい匂いがしたり
耳当たりのいい音楽が流れているインチキ臭い施設では絶対なく
法廷であってほしい
と思います
人が人を癒してあげられる最後の場所でしょ?
裁くのではなく癒す
法律(システム)だって
やろうと思えばそういうことができるはず
システムを行使しているのは人間なんだから
人が人を死刑に追いやるというのは
人の尊厳に対する敗北でしょ
せめて無期懲役まで持っていくのがプロの裁判官(ヒーラー)というもの
死刑という行為で逃げずに
人の心の中の「悪」に本気で対峙するという覚悟も
来世紀には絶対必要


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