かものはし日記6月号


6月1日

お久しぶりです

早朝
間違い電話がある。
声の優しそうなおばあちゃん
思わず丁寧に対応したら
突然おばあちゃんは嬉しそうに世間話を始める。
間違い電話から
こんなに長話をしたのは初めて
ちょっと楽しかった。

6月2日

ヒップホップなんて
ほとんど聞かないんだけれど
ドラゴンアッシュの
greatful days
っていいよね。

いろいろなことがあって
大変で
当たり散らして
でも
最終的には
優しくなれるように人の心はできているんだよね

6月3日

最近の宝くじは
一等賞が3億円なんだね
びっくり
でもそれより
お金に換算して3億円分の
心の余裕が欲しい・・今日この頃

部屋の掃除をする。
だいたい煮詰まってくると
部屋の掃除を始めるのが常だ。
(洗濯機とかどうでもいいものを拭き始めている時は特に重症)
部屋が整然としているとき
頭の中はすっかり混乱していて
部屋の中がめちゃめちゃの時
頭の中はとてもクリア

パソコンの冷却ファンと
ハードディスクの回転音
処理速度を上げるよりこの二つの音を無くして欲しい・・
というのは少々神経質すぎるかな
モーター音
永遠に同じ所を回っているシステムが生み出すうざったい低周波
この星で生み出された機械はこんなんばっかりじゃん
どこかの星に
もし螺旋を描くモーター?が存在するとしたら
こんな耳障りな音はしないはず。
螺旋を描くモーターか・・
どんな形をしているのだろう
モーター音は風の音と同じなのかも

6月4日

後輩と焼鳥屋へ
焼き鳥が塩辛くて気分が悪くなる
(おいしいんだけどね・・)
最近
塩分の多い食べ物をたくさん食べると
とたんに気分が悪くなるのは歳のせいかな?

焼鳥屋に行く前に中古レコード屋で
たまたま目に入った
鼓童(和太鼓集団)の「回帰」を何となく買ってしまったのだが
実は後々とても役に立ったのだ。
なぜかというと
すっかり塩分のとりすぎで気分が悪くなって
うちに帰って
寝ようにも寝付けないので
CDでも聞こうかと
買ってきた鼓童をかけたら
和太鼓の音がとても気持ちよくて
すやすやと寝てしまったのだ。
さすがヒーリングドラム!

6月5日

昨日もそうだが
ここ一週間くらいどうも体調が悪いし、ふらふらしていることに
今頃気付いて
体温を測ったら36.4度
うーん熱っぽい
(僕の平熱は35.4度)
なんで気が付かないんだろうね(笑)

6月6日

病人なのでお粥を食べる。
パックのお粥っておいしくない

後藤に
見てくれはとても元気そうに見える、といわれる。
そうなんだよ
体の表層は元気なんだが
中身が元気じゃないんだよ。
不思議な感じ

6月7日

体調は悪いのだが
なぜだか神経は高ぶっているし
外はいい感じの雨が降っているので
散歩に出かける。
多少ふらふらするけど気持ちがいい
風さえ強くなければ
雨の中を歩くのは結構好きだ。

客の誰もいない喫茶店でコーラを飲みながら
ぼーっとしていたら
カルチャーセンター帰りと思われる20人ほどのおばあちゃんが入ってきて
いきなり騒がしくなる。
なにやら精神的に空爆された気分だが
元気なおばあちゃんたちを眺めているのは嫌いじゃない。

散歩の帰りにCD屋さんで
ジャズピアニストの秋吉敏子のCDを買う
そう、彼女もキャリア50年のおばあちゃんジャズピアニスト
最近日本人で初めてジャズの殿堂入りをしたらしい

夕御飯を
床に落として
今日は晩飯抜き・・
なんか寂しくなっちゃった。

平熱35.4度は低すぎるという
ご指摘が何通かありましたが
うちの母親もこんなものなので
多分遺伝でしょう・・
省エネ型ということでしょうか?

6月8日

夜中の一時頃
宮部みゆきの「理由」を読み終わって
いまいち釈然としないまま
借りてきたカーペンターの新作
「ヴァンパイア」を観る
(微熱の頭にはちょうどいい
修理に出していたビデオデッキも帰ってきたし)
B級ホラーだがなかなかの佳作
ヴァンパイアハンターの運営資金を
バチカンが出しているというのもなかなかいい
そもそも
ヴァンパイアというものが
教会の悪魔払いの儀式によって生み出された怪物という設定だ。
何かを排除しようとする行為は
必ず怪物を生み出す
そして生み出された怪物は
聖戦士の手によって闇に葬られる
そしてしばらくすると・・また
大昔から永遠にこの繰り返し
そろそろこの不毛な円環構造から抜け出すような
突破口はないものか
怪物を救ってあげられる
(ってことは自分自身を救う)
愛とロジックが欲しい。

おれのマウスが縦移動しかしなくなってしまった
きっとこれは何か象徴的な意味があるはず(笑)
おれの人生はもう縦方向のみで横には動けなくなっちゃったとか

なんでも問題を自分で解決しようとして
強くなろうとするから微熱が出るのかも
「強さ」なんてろくなもんじゃない
弱さこそ正しい
さて
誰に甘えてやろうかな

6月9日

こと女に関して
男はいつも逃げ腰
というか、逃げている途中
付き合う前から逃げることを考えていることだってある
母親からも
彼女からも
妻からも
逃げる逃げる
ふと立ち止まって考える
なぜ逃げているんだろう
顔を上げると
遠くで女が優しそうに手を振っている
また逃げる
なぜ?

たまに
(3ヶ月に一度ぐらい)
10日ほど日記をアップしないことがありますが
(最近では5月の後半)
理由はただ一つ
自分の思いを伝えるのが無性に恥ずかしくなるから・・
絵もそう
でもその羞恥心を大切にしています。
戦う気持ちが萎えてきたスポーツ選手が引退するように
羞恥心が無くなってしまったら
絵描きをやめます。

羞恥心についてもうちょっと説明しますが
下世話な例を出せば
たとえば
慣れ親しんだ彼女でも
エッチをするときはやっぱり恥ずかしい
何度やっても恥ずかしい
ということです。
その恥ずかしさを勇気で乗り越えて
ぎゅっと抱きしめちゃう
このあたりの感覚が大切なんです。
(ちょっと違うかな?)

夏は水に触れるのが楽しい
普段より丁寧に食器を洗ってます。

暑いけれど
風邪が冷たい
気持ちがいいので
公園の大きな木の下のベンチでしばしぼーっとしていたら
寝てしまった。
そういえば最近不眠症気味
(といっても自由業者は寝られなくても明日困らないので
全然気にしてないんだけれど)

今ぐらいの季節は玄関開けっ放しにしているのだけれど
やはり開けっぱなしにしていると
いろんな勧誘員がやってきて困る。
今日は布団洗濯屋だ
お仕事お休みですか?
何やっているんですか?
へー絵描きさんですか?
もーかってますか?
もーかってねーよ、うるせー帰れ!
てな具合。

6月10日

人は生まれるときに
大切なものを袋いっぱい抱えていて
その大切のものを全部ぶちまけたら死ねるのだ
おれは大切なものをどのくらい手放せただろうか
まだまだ手放せないでずいぶん抱え込んでいるような気がする
けちけちするなよ

最近は
図書館で借りてきた
マイルスデイヴィスクインテッドのライブインポーランドが
とってもお気に入り
ウイントンケリーの音よりも早いピアノに絡む
コルトレーンのサックス
ソフトランディングするマイルスのトランペット
モノラル録音だけれど
関係ないんだよね
凄い臨場感

巷では
ほんとは恐いグリム童話とか
そーゆうのが流行ってますが
私は夢の中で
「本当は恐いサザエさん」という本を見つけました(笑)

やっぱり微熱は続いているが
これはこれでよしとする。

バッハの無伴奏ソナタ(要するにソロ)
巨匠アイザック・スターンが
バッハの無伴奏ものは人前で弾くものではない
家でひとりでこっそり弾くものだね。
と言わしめるくらい
演奏家にとって恐怖らしい
でもみんなその恐怖を乗り越えて弾きたくて弾きたくてたまらないみたい
恐怖を乗り越え勇気を振り絞って
祈るように演奏する。
勇気が無くなったときたまに聞きます
バッハの無伴奏ソナタは図書館に必ずあります
是非・・

6月11日

聖なるもの 邪悪なもの
上品なもの 下品なもの
美しいもの 醜いもの
優しいもの 酷いもの
素敵なもの いやらしいもの
聖なるものの中に潜む邪悪なもの 邪悪なものの中に潜む聖なるもの
・・・・
いつもあらゆるものに触れていたい
あらゆるものが感じられる弱さが欲しい
あらゆるものを受け入れられる強さが欲しい

空は晴れているのに
なぜか豪雨
今日は狐の嫁入り・・
昔は東京にもきつねとかいたのかな
とある時代小説を読んでいたら
東京の深川にカワウソが出没して悪さをする
というくだりがあって
そうか、昔は東京にもカワウソがいたんだ
と感動で涙目
そういえば
先日高知のほうで日本カワウソの糞が見つかったらしいけれど
生きているとしても
ほとんど何匹単位でしょうね
とっつかまえて人工で増やしたり
果てはクローンかわうそとか作ったりしないで
四万十川の綺麗な水の中で
自然に絶滅させてあげたい
僕にとっては種の保存より彼ら一匹一匹の自由の方が大切
トキの赤ちゃんとか、なんか切ないもの・・

とある占い師にいわせると
梅干しは袋に入れて持ち歩けば
お守りになってしまうくらいパワーのある食べ物らしい
僕も毎日必ず一個
セブンイレブンの大粒梅おにぎりを食べているのさ

そういえば昨日は図らずも
加藤と後藤はそれぞれ人妻とデート。
といっても
加藤は秋葉原へG3を買いたい人妻の付き添い
後藤は人妻に誘われて針の治療院
彼は下半身の気の巡りが悪いらしくて
(要するに冷え性)
それを治してもらったみたい
色気のねー話。

今日のターンAガンダムよかったなー
理念じゃなくて感情が世界にベクトルを与える
子供たちひとりひとりの未来への
想いが
感情が
未来を作り出す
理念じゃないよ、うん。

6月12日

僕のささやかな夢1
紀元前から「近頃の若い者は・・」という台詞はあったらしいが
僕がじじいになったら
「近頃の若い者は・・」といえなくなる最初の世代になりたい
と密かに夢見ている。
そして
何となくなれるような気もする。

ずーっと微熱が続いていても
すっかりそれに慣れてしまって
体調はオッケー
だから気にしないことにしました。
(普通の人と同じ平熱になったと思えばいいじゃん)

近所のレンタルビデオ屋が
レンタル半額キャンペーンをやっているので
(近くに巨大レンタルショップのチェーン店が進出してきて町の小さいレンタル屋さんはあせっているのだ。)
50年代頃のモノラル録音のジャズのCDを根こそぎ借りてきて
聞きまくる。
昔の曲はみんなプリチー
生々しくて野性的で緊張感にあふれているんだけれど
でもかわいい。
知性と野性のコラボレーション
知性とは実は「かわいさ」だったりする。
正しい知性はけなげでかわいい。

テレビを観ているとどうも不愉快になるのはなぜだろう、と考える
それは、多分
私はなんでも知っていると
分かったような顔をしているやつらばかりだから
何も分かってないくせしてね。
僕はダライラマの顔が一番好きです。
山賊の親分のような不敵で優しい微笑み
神様ではなくちゃんと人間をやっているリアリティ
自分は何もわかっていないということを認め
それを不安がるのではなく
わくわくしてしまう
何もわかっていないことに喜びを見出すしなやかな感性。
それって本当の野性だよね、きっと

6月13日

僕のささやかな夢2
編集の方から原稿の依頼があり
数日後絵が完成して編集者に電話をする。
ぼく「絵ができました。でも、この絵は誰にも見せたくありません。」
編集者「わかりました。でも原稿料はちゃんと振り込んでおきますからね。」
ぼく「いつもすみません。」
そんなことあるわけねーよな。

昨日は
近所の区民会館で
龍村仁監督の「地球交響曲第3番」をやっていたので観に行く。
動物写真家の故星野道夫氏とその友人たち(インディアン他)
理論物理学者のフリーマン・ダイソンとその息子(宇宙船とカヌー)
とシャチの研究家であるポールスポング博士
そして
ハワイに伝わる古代の大型カヌーを復活させたナイノア・トンプソン
美しい自然の映像を織り交ぜながら
(水面を慣性飛行するシャチの背鰭の美しさ)
彼らは自分たちの自然観、世界観を語る。
魂について語ることを畏れるなかれ・・
何をするにしても背後には祈りがあり
自然はその祈りにちゃんと応えてくれて
命を、魂を、捧げてくれるから
僕たちは生きていける。
インディアンは森に薬草を取りに行くときにお祈りをする
そうすれば、薬草は
自分の魂を捧げる準備をして待っていてくれる
そして彼らは
準備をして待ってくれている薬草を見極めて摘むのだ。
祈りと感謝という生態系の中で
ゆっくりと進む時間
来世紀
そんな時間を取り戻すことができるだろうか
いや、できるんだよ。絶対にね

6月14日

地球交響曲に出てくる方たちは
音楽家だったり登山家だったり物理学者だったり
と、皆ある意味特殊な人たちなのです。
特殊な場所(森の中とか海の中)で特殊な人たちが
特殊な(トランスパーソナルな)体験をするのは
当たり前の話で
そうじゃなくて日常生活で普通の人たちが
そういう素敵な体験を持ち込めたらね、って
何気ない会話の中に・・
散歩しながら道路脇に生えている雑草に・・
そういうところに神性を見出さなければ何もならない
って思います。

僕のささやかな夢3
たまにぼーっとジャズのCDを聞いていると
遠くでカラスが絶妙なタイミングで鳴いたりして
いつも聞き慣れているお気に入りのCDを
さらに完成度の高いものにしてくれるんです。(笑)
これは、カラスの鳴き声じゃなくても起こる現象で
車のクラクションや
水道の蛇口にたまった音とか
子供のだだをこねる声とか
シンクロニシティというには大げさかもしれないけど
でも、ちょっと楽しいでしょ?

ささやかな夢っていうのは
ジャズのライブで絶妙のタイミングとピッチ(音程)で
客の誰かがくしゃみをしている音源が必ずあるはず
ぼくはそれを聞きたい(笑)

そうそう
半年ぶりにタイトルイラストの更新をしました
後藤の弟くんの
結婚式に来てくださってありがとうイラストです
お幸せに・・

数日前
バッハの無伴奏ソナタのことを書いたら
ヨーヨーマの無伴奏ものが良いですよ、と
教えてくださった方がいて
早速電車に乗って買いに行きました
うーん、素敵です
ありがとうございます
バッハは聞く度に
なぜ、人工衛星ボイジャーにのせて
(黄金のレコード盤)
バッハのブランデンブルグ協奏曲は宇宙に放たれたのか
何となくわかるような気が・・

6月15日

独裁者になるのって簡単だよな
ってふと思う。
自分自身をコントロール(支配もしくは征服)するより
他人(もしくは自然)をコントロールする方がはるかに簡単だもん
近代自我なんて偉そうな言葉がありますけれど
近代は自我の確立の時代とかぬかしてますけれど
なんのことはない
他人をコントロールする技術だけを磨いてきただけで
自分のことはほったらかしだ
ガキの頃から近代自我なんて植え付けやがって
どうしてくれる
自分自身をコントロールする技術というのは
歴史のどこかでプチって途絶えてしまったんでしょうね。
(心理学というのはそれを一からやり直しているのかも)

強さを極めていく物語はいっぱいあるけれど
弱さを極める旅というのはほとんどない
(あたりまえか?)
弱さだって大事でしょう?
主人公が旅を重ねていくうちにどんどん弱くなって
最後に究極の弱さを極める
その時なにが!?

お昼はたいてい
奥さんが美人で旦那が優しそうな
夫婦二人で営んでいる立ち食いそば屋に行く。
(立ち食いといってもちゃんと座席はある)
(立ち食いといってもそばは良いし、ちゃんとその場で茹でる)
で、何が良いって
理由はわからないけれど
店内にジャズが流れているのが良い。
ジャズを聴きながらそばを食べるなんて粋でしょう?
(でも、そばつゆがいまいち・・)

6月16日

ここ数日夜はヨーヨーマの無伴奏チェロを聞きながら
部屋の電気を消して
部屋中の窓を全開にして
(昼間は暑いが夜は涼しい)
玄関まで開け放して
バーボンをロックで飲みながら
ぼーっとするのが至福の時間なのですが
そのまま寝てしまったりして・・
朝、玄関が開きっぱなしなのに気付いてちょっとびっくりする。
(野良猫とか紛れ込んで来てくれるとうれしのだけど)

久々に上野で弟と会う
昼からビールを飲む
ふらふら
(ほんとはアイスコーヒーが飲みたかったのに・・
ビールを飲もうといわれて断れなかった
気の弱い兄)

信じるというのは
人間にとって一番大切な「仕事」なのかもしれない
信じることから生命力って生まれるものね
たまに何もかも信じられなくなって
無職になる(笑)

窓を全開にしていたら
描きかけの原稿が風に飛ばされて
部屋のいろいろなところにぶつかって
別の窓から外に飛んでいって
ぼこぼこになる。
これは自然界からの「ダメ出し」か(笑)
自然からリテイクを食らうのはつらい。
(立ち直れねーよ)

6月17日

野球を含めた多くのスポーツが
完全なるマシンになることを目標にしていることに対して
(ちょっと偏見かな?)
サッカーの目標は完全な自然になること・・
のような気がする
(ちょっとひいき目)
流れる水のようにパスが通るとき
そこに自然と同じ美しさを感じ
神聖な気持ちになってしまうのは
(思わず神社に奉納したくなるようなパス・・)
やっぱりひいき目なんだろうか
そして
僕にはトルシエ監督がシャーマンの導師のように見える
(これはひいき目)

ここは香港のサッカー競技場か?
暑い!
我慢できなくなって、ついにクーラーのスイッチを入れる
おいらはクーラーをがんがんにかけて
布団をかぶって昼寝をするのが大好きだ
さらに
蚊に食われたら
血が出るまでかきむしって
赤々と晴れ上がった患部に
キンカンを塗りたくって
激痛に耐えるのが大好き

6月18日

いきなり寒いです
今日またタイトルイラストを変えました
久々にSF
現在
エンジェルリンクス(巨乳スペースオペラ)という小説がアニメ化されていて
その原作者が友人で
彼がそのアニメの同人誌を作るというので頼まれたイラスト。
(タイトルは原作とはなんの関係もないです)

来世紀は
肥大化するコンピュータネットワークの中で
過剰な便利さによって失われつつある
人の直感力
野性
身体性
などを失わずにしなやかに生きていくという
ほとんど綱渡りのようなことを強いられるような気もする
がんばろうね

相変わらず微熱は続く
友人のおねーさんに微熱少年といわれる(笑)
微熱おじさんでしょう、もうすでに・・

考えてみれば
サッカーの国際試合で
日本戦には決して日本人のレフリーは出てこないわけだから
彼はその勇姿をテレビで家族にアピールすることはできないんだよね
ちょっと切ない
レフリーの質の高さもサッカーのプレイの質の高さに比例する
たまには彼らの勇姿が観たい

6月19日

僕のささやかな夢4
死に方について
車にひかれそうになった子猫を
身を挺して助けて
僕は車にひかれて死んでしまうのだが
子猫は僕の胸の中でにゃーにゃー鳴いている
というのがいい。
ただ、そのタイミングが難しい
僕が飛び込んだ瞬間に
子猫はさっと車をよけて
僕だけ車にひかれる可能性が高い(笑)
自殺だと思われちゃうのもしゃくだ
練習するわけにもいかんしね

最近は
セブンイレブンで売っている
「牛乳でつくったおいしい飲むヨーグルト」
がお気に入り

今日は雨の音を聞きながら
ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン
中近東の音楽と雨の音が以外にマッチするのは不思議
にゃんこが居てくれたときは
イスにだらしなく座りながらぼーっと音楽を聞いていると
まるでテレポートしてきたかのようにそおっとお腹の上で実体化して
丸くなってごろごろしてくれたのだが・・
猫いない歴1年半
深刻だよ
でもここ二階だから飼いにくいよな

たぶん15年ぶりくらいだと思うけれど
久々に転んだ(笑)
地球に激突する瞬間
なにやら懐かしい匂いがしました。
サッカーの選手がタックルされてころころ転がっているのを見ていると
ちょっとうらやましい

6月20日

ほとんど同じ絵を2枚
アートギャラリーに追加
小品です
タイトルは
「右の頬にキスをされたら左の頬を・・」
後藤の弟くんの結婚記念イラストもアートギャラリーへ移動

野球は見ないと宣言しながら
実はちょこちょこ見ている(笑)
ロッテの山本功児監督のインタビューをNHKで見る
山本功児といえば
大昔、まだ巨人で王選手が現役だった頃
王選手の控えだったけれど(同じファースト)
打つ方も守る方も華麗でかっこよくて大好きだった。
(王選手がいなければ当然レギュラー)
監督になられて
2軍もちゃんと視野に入れた細やかな気配りが開花して
ロッテも好調だ。
またしても好調王ダイエーが首位なのは
何かの因縁なのか
でも
どっちもがんばって欲しい

6月21日

自然に対するアプローチの仕方の中で
科学がいちばん自然に対して失礼である
と科学者は常に認識すべきである。
俳人がいちばん礼儀正しいのではないかと
最近ふと思う。

3日ぶりの晴天で
町中、白い洗濯物がはたはたとはためいて
町自体が巨大な帆船のようではないか
というのは大げさだよね

近所のクリーニング屋の猫は
首輪に縄をつけられて飼われている。
猫に縄をつける飼い主も珍しい。
アメリカンショートヘアだから
飼い主の気持ちもわからんではないが
ちょっとかわいそう
いつもこっちから挨拶しているのだけれど
今日はむこうから「ニャン」と挨拶してくれた
そうか、逃がして欲しいのか
いつでも手を貸すぞ

6月22日

素敵な俳句は
物理の方程式のよう・・
といったら俳人に失礼かもしれない。
けれど
素敵な俳句は
世界の仕組みの、秘密の「気配」を
しなやかに立ち上げる。
物理も仮説だけなら
詩と同じ
宇宙の気配を数式で詠ったのだ。
ただ、それを「真理」として実証しようとするから
巨大な粒子加速器や
スーパーカミオカンデなんぞが必要になる。
真理なんて存在しないのに・・
この世に確かな手応えで存在するものは
「気配」だけ

隣の家の物置小屋の屋根に
たまに見かける野良猫がいた。
ちょっとジャンプをすれば
そこのテラスから僕の部屋に入れるよ、という思いを込めて
小さいかすれるような声で
「にゃあ」と言ってみる。(呼んでみる)
最近気がついたのだけれど
よくよく考えてみれば
彼らは人間よりはるかに優れた聴力を持っているわけだから
普通、人間同志が挨拶するような音量では
うるさいはずだ。
でかい声で挨拶されたら
喧嘩を売られているようなものだものね。
当然彼は僕の声に気がついて顔を上げてこちらを見たのだけれど
いやーな顔をして
どっかに行ってしまった。
ふられたちゃったのよー

6月23日

リアリティ
つねに僕の頭を悩ませる深刻な問題ではある
たとえば
責任もって地獄に堕ちるから・・と捨てぜりふをはいて
僕の元を去った彼女がいたとしよう
おそらく彼女にとって地獄とはリアリティのこと。
ようするに
僕にはリアリティがないということだ
あなたとは一緒に生きているという実感がない
なにやらユートピアのようだ・・と
それはある意味当たっているかもしれない
だって
彼女が犯した過ちに対して
僕は地獄に堕ちろ!と言わなかった。
だから
彼女は仕方なく自分で言うしかなかったのだ。
そして僕の元を去るしかなかった。
(それとも僕がそう言わせるように仕向けて逃げたのか)
さらに
絵の話
絵を描くときにリアリティはいつも留意しなければならない
大切な問題だということ
リアリティというくさりで足をちゃんと縛ってどこかに飛ばされないように・・
うそっぽくならないように・・。
気を使うのは
リアリティのことばかり
リアリティの中にこそ生命があり
人と人との普遍的な関係性がある。
本当にそうだろうか
多分そうなのだろう
でもね
ファンタジイの中にこそ普遍性があり
命の源があるような気が僕にはするのだ
別にリアリティというくさりで凧のように誘導されなくても
くさりなしで
ちゃんと飛べるはずだ
そして誰かと手をつなげるはずなのだ
(なんか子供の頃から凧あげって嫌いなんだよな
特に人がやっているのを見ると
無性に凧糸を切りたくなる(笑))

6月24日

去年自殺した人が3万人!とニュースで言っていた
僕だって死にたいと思うときはしょっちゅうあるけれど
生きたい!って思うときもしょっちゅう(ちょっとうそ、たまに)ある。
死への誘惑と
生への愛おしさ
この激しい振幅を受け入れられるだけの無限の媒質
空き容量
ハードディスクに「空き」がないと
ソフトがちゃんと動かないのと同様
人間も空き容量がたくさんないと
心がちゃんと動作しない
(パソコンと一緒かと思うとちょっと情けないけど
でも、そうなんだもん)
でね
心の空き容量を増やすという行為は
「祈り」という行為にとっても近いんじゃないか

東山魁偉画伯の絵を観て思ったのさ
絵も音楽も詩も映画も小説も
何気ない会話も
何もかも
自分のそして誰かの心の空き容量を増やすためにある

ポンキッキーズに出てくる
黒猫ゴロちゃんが最近のお気に入りだ
呼びかけるといつも振り向く、という歌詞もいい

数ヶ月前に中国人の留学生が階下に引っ越してきました。
静寂を好む僕としては
(音に過剰に神経質な僕と言った方がいいかな)
ちょっと嫌な気分ではありましたが
でも仲良くやっていこうと思いました。
がしかし
彼は中国の友人をたくさん部屋に連れてきて
騒ぐし
中国語というのはやけにトーンが高くて声がでかい
(喧嘩をしているように聞こえる)
普段優しげな文章とかを日記に偉そうに書いている僕ですが
基本的には短気で戦闘的です。(クリンゴンです、カーク船長です(笑))
たちまちお互いの関係は悪くなり
たまに外で顔を合わせても
頭は下げるけれどにらみ合ったまま。
僕なんぞ
友人に借りた香港映画のビデオは
中国語の響きが不愉快なので音を消したまま字幕だけ読むしまつ。
すっかりレイシスト!
彼はいつも夜中の1時過ぎにどたどたと帰ってくるので
ちょうど寝入りばなの僕は
その時おこされてちょっと不眠症気味。
でね
こーゆう関係は良くないって思ったんです。
なんかきっかけが欲しいなあって
そしたら今日
彼の布団が外に干してあって
彼は不在
ちょうど雨が降ってきて
一瞬迷ったけれど(ざまあみろと思った)彼の布団を取り込んだのです。
数時間後彼が帰ってきたので
彼に布団を渡したら
彼は本当に嬉しそうな顔をして
ありがとうございました、と日本語で
(ちょっとイントネーションが変だけど)いってくれて・・
ああ、ほんとに良かった、って思いました
まさしく恵みの雨でした。
神様はいるのねーって思っちゃった。
タイミングは神様の贈り物?
ちょっといい関係になりつつあります。

6月25日

夕方の5時にやっている
アニメ「マスターキートン」のオープニング曲は
なかなか素敵
エスニックなチェンバーミュージック風
サントラってあるのかな

読み返すと
今月は日記をいっぱい書いている
まあ
来月、人類は滅亡するわけだから
思い残すことなく書いておかないとね(笑)
6月30日はノストラダムス・イブ?
でも7の月は旧暦で9月という説もある

NHK教育で
元シャーマンの画家
パブロ・アマリンゴのドキュメンタリーをやってました
彼の著作は日本でも手に入ります
(去年出た本)
アマゾンの呪術師(シャーマン)
地湧社 1700円
いい本です
シャーマニズムに関する文章(エッセイ風)だけでなく
カラーによる彼の作品も載ってます。
エッセイの中で僕がいちばん印象に残ったのは
適度にセックスをするとエネルギーの交感がなされ体にいい
というのと
自慰行為ばかりしているとおかしくなる
という下世話なところです(笑)
絵を描くときは
何もかも忘れ
喜びだけに満たされている。
という彼の言葉に
ちょっと落ち込んじゃいました。
愛が足りないのねーって
彼の絵を観ていると
ファンタジーの中にこそ普遍性があるって思えて
嬉しいんです。
そうそう
思い出しました(下世話ついでに)
別のシャーマンの本で
適当にセックスしてできた子供と
ちゃんと愛し合ってセックスしてできた子供とでは
生まれた後の生体エネルギーの量が違うそうです。
なんかいつもエネルギーが足りないなーだるいなーと思っているあなた
実家に電話して両親に問いただしましょう(笑)
僕は問いただしました(笑)

6月25日その2
(日記が1日ずれているので修正のため)

リンクを張らせていただいている
俳句のHP「俳句ニューデリー」の池田美樹さんから
一句頂いたので
タイトルページに載せました
ご覧ください
「聖五月」というのは
カトリックでは五月を聖母月と呼ぶところから
来ている季語だそうです。

いつもは
北が東か南に向かって歩くのだが
今日は西に向かって歩く
(散歩の話だよ)
なにやら繁盛している豚骨ラーメン屋を見つけたので
入ってみる
ネギいっぱいラーメンを注文する
本当にネギがいっぱいはいっているけれど
ネギだけだった
(青々としちゃってさ、春の日差しのようだったよ)
普通はさー
いくらネギラーメンとはいえ
チャーシューが1枚とかのりとかも入っているもんじゃないの

6月26日

道路沿いを散歩しているときは気をつけないと
凝った肩をほぐすために
手を挙げてのびをしようものなら
勘違いした
タクシーが僕の目の前でぴたりと止まる
不景気なのかな
数回あった。
(反対側を歩いている後藤を見つけて手を振ったら
止まったこともあったな)

女が本当のことは言わない生き物で
男が本当のことは認識できない生き物ならば
破滅的だが
いいコンビだ
でもさ

風呂上がりに
部屋中の窓を開けて
フルチンで
リーリンチェイのまねをして
クンフーのポーズをとっているところを
ちょっと離れたマンションの住人(おねーさん)に見られてしまった
という話は書いたっけ?
フルチンを見られたことに関してはどうでもいいけれど
カンフーのまねごとをしているのを見られたのが恥ずかしい
すごく

6月27日

日曜美術館で
緒川たまきの遠い目を鑑賞したあと
N響アワーで
檀ふみさんの掛け合い漫才のような解説を聞く
というのが基本的な日曜日
なのだが
特命リサーチ21とか
あるある大辞典とかに予定を阻まれる

6月28日

ノストラダムス緊急特番をテレビでやっていた
宇宙人やら
未来人がどーしたこーした・・
世の中には変わり者がたくさんいて嬉しい。
こんなのは妄想だと識者はいうが
(おれもそう思うけれど)
妄想を具現化するのは
地球人がいちばん得意
それが恐い

6月29日

「言い訳」という言霊(言語生命体)は
なかなか恐ろしい奴で
言い訳しようとしている人間を先回りして
あらかじめ言い訳を具体化してしまう
だから
言い訳をする人間は
言い訳をするとき
「言い訳」を探す必要はないのだ
だって
もうすでに用意してくれているんだもん
最近は「言い訳」が用意してくれた言い訳が
あっちこっちに落ちていて
部屋が狭くなっちゃって困る(笑)
今週まとめて捨てちゃいましょう

「どうせおれの気持ちは誰にもわからない」
という台詞は
週に1度は聞くくらいのポピュラーなものだが
そりゃ、あんた
わからないよ
人は他人の気持ちをわかってあげる能力はあるとおもうが
自分の気持ちを他人にわからせる能力は
ないとおもうな
詩でも小説でも絵でも映画でも
優れた作品は
決して自分(作者)の気持ちを伝えようとしているのではなく
反対に
世界の気持ちを理解しようとしているのだから

6月30日

サッカー日本代表の柳沢が深夜ホテルを抜け出して
女の子とデートをしたために
日本代表がパーになる、というのはなかなかいい話だが
依然プロスポーツはアマチュア根性が抜けてない。
プロなら罰金でしょ
さらに、プロならば
ピッチの外で何をしようが勝手
(深夜に抜け出して強盗でもしたのだったら話は別だけどさ)
子供扱いー!
お互いもっと野放しに・・

人はプライドを傷つけられることをいちばん恐れ
プライドを誰にも傷つけられない状態を
「幸せ」と規定している。
いつからこんなややこしいものを身につけてしまったのか
(生命体としてのプライドはないのに)
子供の頃
学校の成績が悪くて
母親に
「・・君に負けて悔しくないの?」と叱られて
「悔しくない」と胸を張って言ったら
母親に泣かれてしまった。
きっとその頃から・・かな(笑っちゃうね)
そうそう
ヤキインデアンのシャーマンが言うには
プライドはいちばん生体エネルギーの消費量が多いそうです
プライドを行使すると
早く老け込みそうです。
気をつけましょう


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