かものはし日記 2009年2月号


2月1日

タルコフスキー監督の
「ストーカー」と「ノスタルジア」を観ながら
絵を描く

やはり水の表現がすばらしい
映画の時間の流れとゆるやかな水の流れがシンクロする

ストーカーは英語字幕で見たほうがしっくりくるような気がします
(って、えらそうだな。まるで英語ができるみたいじゃないか(笑)

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地球外生命体の来訪により発生した「ゾーン」の使者なのかもしれない黒い犬がかわいい

2月2日

相撲は、国技であるというスタンスが
相撲協会を役所的体質にしているような気がします
国家とか宗教という威厳を持ち出さなくても
純粋なスポーツは
品格があり、神聖であるはずです
それはスポーツだけではなく
なんでもそう。
システムにひよることによって
神性は失われていくのです

2月3日

節分

芸能人が高いところからファンに向かって
豆をまいている光景って
なにやら定額給付金を連想しちゃって
いやな気持ちになりません?(笑)

2月4日

国会の代表質問の場で
民主党の前原議員が
「総理は、解散をやると言いながらやらない、やるやる詐欺だ。」という発言で笑いをとってましたが
だれが、面白いこと言えって言ったんだよ(怒)
国会は、面白いネタを披露する場所じゃないんだよ
前の晩に寝ずに考えたんだろ
腹立つ〜
腹が立つと腰痛が悪化するので
もうテレビは観ません
やはり音楽ですね

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portraits of duke ellinton

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portraits of thelonious monk

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self portraits

ジャズ・ピアニスト randy weston のポートレイトシリーズ
彼は、キューバの怪人チョーチョ・バルデスのような
優しき巨人(gentle giant)系ピアニストです

http://www.youtube.com/watch?v=1y390lxxrjY

手がでかい
ピアノがちっちゃい
有り余るパワーが
そのまま力強さだけになるのではなく
繊細さや優しさにもいっぱい注ぎ込まれている
彼の柔軟な身体性にしびれました
いい顔してるよね〜

2月5日

不機嫌は、劣等感の表れと認識すべきである

とあるサイトに書いてあった
どっかの国の心理学者の言葉です

あー、そうでしょうとも
その通りですよ
じゃあ、なんですか?
ご機嫌は、優越感の表れですか?
どっちもあんまりいいもんじゃないじゃないですか

と、パソコンに向かって
独り言を言うほど
僕は
どうすれば良いかわからない状態になってます
やれやれ

2月6日

一枚の絵を三人の人にだめ出しされて
久々のリテイクです
(3人で言うことないじゃん(笑)
落ち込んでいると
友人から電話
マンガ家の彼は今、自主映画を撮っています
(2作目)
こんなご時世なのに
自分のやりたいことをやるって、素敵なことです
学生映画ではないので
暇な友人集めて作る映画とはちがって
仕事もあるオトナの人たちを
ある時間ある場所に集めるって大変なことです
お金が絡む仕事なら人集めはそれほど難しくはないんでしょうけど
自主映画というのは、無料奉仕がほとんどです
それなのに
彼の周りにはちゃんと人が集まってくる
(ちゃんとじゃないです、すっぽかされるし、遅刻されるし、と彼は言いますけど(笑)
彼の人柄ですね
これも映画を撮るための才能のひとつです

彼の楽しみに勇気をもらい
「失敗したらやり直せばいいだけだ」
という野口晴哉先生のお言葉を思いだし
引き続き黙々と絵を描きます

2月7日

ブログ炎上の背景

人間誰しも
愚痴や他人の悪口を言いたくなるときがあるでしょ
でも
人間関係が希薄な今時は
なかなか言う相手もいないし
言うことで嫌われてしまうかもしれないという恐怖心もあってか
(悪口を言える相手って、やっぱりそれなりの信頼関係を必要としますし)
面と向かって
自分の後ろ暗い思いをぶつけることが出来ない状況にあります

有名人のブログにひどいことを書いてしまうという
極端な行為って
原因がそのへんにあるような気がします

幸い僕は、悪口を言い合える友人が結構いるので
ブログにひどいことを書かずにすんでますが(笑)
悪口を言い合うって
結構大事です
それは
自分の中の悪意を自覚すること
悪意を自覚しなければ
不用意に人を傷つけてしまうでしょ

自分の中の悪意を自覚しつつ
友人の悪意も認めつつ
楽しく悪口は言い合いたいものです

ぼくなんぞ
母親の親戚に対する悪口をしょっちゅう聞かされてますが
そのたびにさらに焚きつけるようなことを言って
あおって楽しんでいます(笑)
悪口に過剰に賛同すると
悪口を言った本人が
いや、あのひとはそれほどひどくない、とか言い出しちゃうところが
面白いです(笑)

2月8日

最近
オトナ グリコのCMが気に入っています
舞台は25年後のサザエさんの磯野家

やけにいい女になったワカメちゃん(宮沢りえ)
全く変わらないカツオ(浅野忠信)
たこ焼き屋をやっているタラちゃん(瑛太)
IT企業のCEOをやっているイクラちゃん(小栗旬)
という豪華なキャスティング

http://www.glico.co.jp/otona/cm.htm

丁寧に作られた
素敵なCMに仕上がっています

2月9日

結構腹の立つことがちょこちょこあるここ数日
その割には
知らないうちに腰痛が治っていたりして。
あれ、腰痛って怒りじゃなかったの?

ある法則が、まるで真実かのように振る舞うことがあります
この世界では
原因と結果という因果律が
世界を支配しているようにみえるし
実際
経験則として
多くの人が、それを実感していると思います
(因果応報っていうやつね)
しかし
なんだかんだいっても
この世界は無常です
一つの法則や体系がすべての局面で通用するわけではないのです
結局なんだかわからない
どうして腰が治ったかわからない
北京のチョウチョの羽ばたきが、アメリカのハリケーンの進路を
変えたりするし
変えなかったりする
(バタフライ理論)
腰痛の原因は、怒りだったりするし
そうじゃなかったりするわけです

え、なんだかよくわからないって?

そう言うことです(笑)

法則や体系にとらわれず
なんだかわからないこの世界を受け入れ
直感で生き抜いていく
そう言う覚悟が、おまえにあるのか?
と、腰が僕に問いかけているわけです
え、よくわからない?
あーほんとにわからん

2月10日

危うい線が魅力の国武将さんのグループ展の初日
おれが音頭をとってオープニングのパーティを
やるから来てね
いつもの手打ちの蕎麦もあるよ
と、大野画伯からお誘いを頂いたにも関わらず
仕事でいけませんでした
すいません
(と、書いても画伯はパソコンをやらないので
謝ったことにはならないのですが・・)

ドツボにはまってます

ドツボって肥だめのことですよね
簡単には抜けられないし
抜けてもくさいし・・

2月11日

ドツボ中

ドツボもはまればはまったで、楽しいかもしれません
むやみに抜けようとすることないのかも
しばらくはくさいままでいいかな(笑)

2月12日

シベリア上空800キロで、人工衛星同士が激突したと
ニュースでやってました

高校生の頃読んだのでうろ覚えですが
確か
1950年代に書かれた
アーサー・C・クラークのSF小説「火星の砂」の冒頭部分で
主人公の乗った宇宙船に
小さい破片がぶつかって穴が開くという事故が起きます

地球の周りの宇宙空間は
宇宙開発で生じた一万個以上の破片が
秒速7キロという高速で飛び交っています
その破片がいつ宇宙ステーションなどにぶつかって
事故が起きてもおかしくないクラークの予見通りの世界になりました
最近では
小さな町工場や個人でも
人工衛星を作れるようになり
人工衛星打ち上げビジネスというものが確立しつつあるようです
とても心躍る話ではありますが
(僕も飛ばしたい)
衝突を避けるための姿勢制御もできないような手製の人工衛星を
どかどか打ち上げるというのは
いかがなもんでしょう
ロマンには
背後に大きな責任があるのです
科学者は
それを忘れてはいけないのです
昔のSF小説は
僕らにそれを教えてくれたのでした

2月13日

自由になるためには
なぜだかわからないけれど
「枠」がいるのです
何しても自由では、自由にならない
たとえば
サッカーも手を使ってはいけないなどの
枠(ルール)があるから
ファンタスティックなプレイが生まれるわけで
それを人は自由(奇跡ともいう)と言うのです
なんでもありなら、ただの乱闘です
ゆえに
自由になるためには
枠をつくることが重要になってきます
枠をいかにデザインするか、センスが問われるところです
枠の質で自由の質も決まってくるはずです

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the stone :issue three / john zorn ,lou reed ,laurie anderson

ルー・リードとローリー・アンダーソンが夫婦というのも
ありえませんが
ジョン・ゾーンとルー・リードが
フリーセッションというのもありえません
そう言う意味では、ものすごく期待しちゃってましたが
これは
枠のないフリーミュージックです
ゆえに乱闘です(笑)
乱闘好きの方はどうぞ
(今の僕はこのアルバムを最後まで聴ききる元気がないようです)

2月14日

枠というのはコミュニケーションのことでしょうね
サッカーで言えば
ルールという枠がないと何をやっているかわからない
枠は、自分の思いを相手に伝えるためのコミュニケーションツールなのかもしれません
枠なしでは何も伝わらない
油絵の額縁のような古くさい枠では通用しない
枠はとても大事ですが
ジョン・ゾーンのように枠なんてなくてもいいじゃん
という姿勢にも若干惹かれます(笑)

2月15日

ひとつ、仕事が終わったので
ひよどり島(富山県にある実在する地名)から遊びに来た妖精系のおねえさんと
豆本作家の谷中あずき堂さんと
浅草の屋台で呑みました。
2月の半ばなのに
妙に暖かくて、屋台で呑むには
良い感じ
たまたま僕の隣にすわっていた今年で90歳になるというおじいさんとちょっとお話
松尾芭蕉と弟子の曾良〈そら〉の関係
書道家の良寛などをふまえて
人生の葛藤についてのお話をしてくださいました
(ちょっとレベルが高くて、話について行くのに必死・・)

歳をとるとはどういうことか

たまたま今日は僕のロック師匠の誕生日で
電話で
歳をとることはいいことだよね
というお話をしたところでした
歳をとって
こだわっていたことがどーでも良くなって
いろんなことが許せるようになって
その分
いろんなものが愛せるようになって
大人になっていくんですね

世界のすべてが愛せるようになって
死んでいけたら素敵だけど
たぶん
僕には無理だな(笑)

2月16日

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last night the moon came dropping the clothes in the street / jon hassell

きっと僕は、絵を描く上で
「都市型シャーマニズム」
というようなイメージを目指しているんだと思います
どういう形になるか、なにも思いつかないのですが
たとえば
宮沢賢治の詩の中にそのヒントがいくつかあるように思います
音楽で言えば
デヴィット・シルビアンの
「words with the shaman」
(ブリリアント・ツリーというベスト盤に収録)
そしてjon hassell
20代の頃聞いた 「power spot」、「city of fiction」というアルバムは
衝撃的でした
今回
ECMから出た新譜も
その延長線上にあるようです
呪術的リズムの中から
時折聞こえる遠吠えのようなエレクトリック・トランペット
タイトルも
何か稲垣足穂を思わせるような雰囲気が素敵です

2月17日

昨日は
かっこ悪い日本人とかっこいい日本人を同時に体感しました

政治は
スタイルとしてはロックです
かっこ悪いのはだめなのよ、中川さん
世界一かっこいい酔っぱらいと言われている
トム・ウエイツを目指しているのなら別ですが
あなたには無理
もう、ほんとにがっかり
逆に
イスラエルで小説の賞をもらったのに
授賞式のスピーチで
イスラエル批判をしちゃう村上春樹はロックです
作家として
人として
の覚悟に感服しました

ロックって、覚悟のことですね

村上春樹って不思議な作家です
僕は彼の作品をほとんど読んでますが
これは小説だな〜と思ったのは、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だけのような気がします
他は小説じゃない(笑)
読書家で、彼の作品が好きという人はあまりいないような気がします
でも
本は読まないけれど村上春樹だけは読むという人は結構います
読書家の持つ言語的感受性ではなく
本なんて不必要な人たちの持つある身体感覚にリンクしてしまう
そこが
彼の作品が難解と評価される所以でしょう
難解というのは
何が言いたいかわからないということです
なんだかわからないのに
面白いし、心に響く
小説と言うよりは音楽に近い

この世界はなんだかわからないけれど
面白い

というのを作品にしている作家は彼だけ。
芸術の理想の形だと
僕は思います

この世界がどうなっているのかわかろうとする人と
なんだかわからないことを楽しもうとする人

僕は後者でありたいんですが
実は前者です
前者は唯物論的ですが
実はスピリチュアリズムも前者です
前世とか守護霊とか占いとか
これも世界のひとつの構造です
村上春樹の作風をまねようとする作家はたくさんいますが
皆失敗してます
それは、彼の作品のありもしない構造を探ろうとしているからかもしれません

後者になるには
ものすごい覚悟が必要です
それはなにものにもとらわれない「個人」になるということだから

その覚悟を
テレビの前で見せられました

(しかし、村上作品には「枠」というものが
存在するんだろうか・・
謎だ・・)

2月18日

「白」の彼方へ
白いジャケットを2枚

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go away white / bauhaus (2008)

バウハウス
去年再結成していたのですね
知りませんでした
我が青春のバウハウスというと大げさですが
ピーター・マーフィーの歌声に魅せられた20代
素晴らしい声というのは
空からの贈り物です
(彼が歌うボウイの曲、ジギー・スターダストは最高)
相変わらずの80年代的なゴシック・ロックですが
センスはぴかいち
傑作


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earth sun moon / love & rockets (1987)

これは、83年のバウハウス解散後
ピーター・マーフィー抜きのバウハウス
一曲目、earth sun moon は、とても良い曲です
ゴシックロックにサイケデリックの味付け
初期のピンクフロイドのよう

こうやってふりかえると
80年代はなかなか楽しかったんだな〜
(この頃は、この手の音楽は、オルタナティブとは言わずに、NEW WAVEと呼ばれていました)
80年代後半から
文化はなぜか力を失い、経済がとってかわります
文化は、経済にコントロールされたマーケティングリサーチ文化になり
失速するのです
(なんてったって、一番愛していたキング・クリムゾンまでそうなっちゃったんだから・・)

それでも「白」をめざす
どんな状況でも
「白」をめざす
そうありたい気持をこめて

2月19日

草食系ロックというジャンルがあります
(うそ)
勝手に自分でそうカテゴライズしているだけですが
たとえばno.9という日本のエレクトロニカを初めて聞いたとき
あまりの攻撃性のなさに驚きました
(音楽性はすばらしい)
まさしく草食
アルパカの群れを思い出しちゃった(笑)
最近
みのもんたみたいな男臭い男は絶滅しかかっていて
車もいらない、彼女も別に、けっこうエコという
、いわゆる
草食系男子と言われる人たちが増えたとテレビで言ってました
僕も自分では草食系だと思っていたのですが
友人に
実はかとーさんはもっと熱い人なんでないの?
と指摘され
そういえば他の人にもそう言われたことあるな〜と思いだし
でも僕は低体温症だし(笑)
そんな熱いはずは・・

ちょっと自分の火元をもう一度確認してみますね

2月20日

たぶん
自民党って

国民ひとりひとりが
自分さえ幸せならばそれでいい
というスタンスが
日本全体を幸せする

と思い込んでいるんでしょうな〜
ユートピアですな〜
近代自我の稚拙な解釈です

個人が幸せにならなければ
世界は幸せにならない
という宮沢賢治の言葉とは
似ているようで対局にあります
幸せの意味が違いますから

2月21日

生命力というのは
ある覚悟をしたものにとっては味方になってくれるけれど
中途半端なやつには
敵になって攻撃してくるんですね
中途半端だと
因果律の世界の中で
AならばBである、みたいなおもしろみのないことしか起きないのです
覚悟を決めれば
因果の世界から脱して奇跡が起きる
奇跡なんて
生命力にとってみれば
ごくごく自然なこと
真空の宇宙空間にぽつんとある生命の星
この奇跡の惑星に住んでいるなら
なにがしかの覚悟を決めないといけません

2月22日

5月の個展は、動物中心の絵になりそうなので
ひさしぶりに
上野の動物園へ
動物たちに会いに行きました

野生の動物たちを檻の中に閉じ込める
というのは、あまり素敵なことではないのですが
やはり
間近で観る動物たちはすばらしいのです
両手両足をのばしてうつぶせで眠るシロクマ
りんとして美しいタテガミオオカミ
常に楽しもうとするコツメカワウソ
地球には
こんなに多様ないきものたちがいるんだな〜
と改めて驚くのです
そして彼らがいてくれないと
われわれは生きていけないのです
人間だけではあまりに寂しい
それを確認しに動物園に行くのです

2月23日

日本の映画、おくりびとが
アカデミー賞を受賞しました
おめでとうございます
しぶがき隊のあの「もっくん」が
こんなにも美しく立派な役者になったことがとてもうれしいです

この映画で
納棺師という職業を初めて知りました
死生観というのは
それぞれの文化のいちばん核の部分だと思います
納棺師とは
納棺という儀式を通して
死者のためというよりは
残された側が死者への想いを整理し
別れという「変化」に対応するためのカウンセリングをするような
そんな繊細さを要求される仕事なんだと想像できます
この映画で
納棺師になりたいという人がものすごく増えたそうですが
安易な覚悟ではできない仕事でしょう

うちの家族の死生観と言えば
死んだら生ゴミに出されてもかまわない
と母と弟は口をそろえて言います
ひどい家族(笑)
ま、死んじゃったらどうでもいいということなのですが
しかしほんとに生ゴミに出すわけにはいかんだろう
犯罪だしさ

死んじゃったらどうなるんでしょうねぇ
いろんなことを言う人がいますが
死んで帰ってきた人はいないわけですから
だれも知りません
輪廻とか霊界とか
いかにも人間が考えつきそうな世界って
SFの設定みたいで
なんだかリアリティがないでしょ?

どうなるんだろう
(10年前に他界した猫(アナちゃん)に会いたいんだけど
たぶん無理なんだろうな〜)

2月24日

うわさの落語カフェに行ってきました
金原亭馬吉と三遊亭天どんの二人会
僕は、さほど落語が好きというわけではないのですが
金原亭馬吉さんだけは
大好きなのです
落語カフェの運営者であるご夫婦は
数年前から
「落語馬花」という馬吉さんなど若手中心の落語会を不定期で開いていまして
ご夫婦の友人である編集者さんに誘われて
この落語会を観に行ったのが彼との最初の出会いでありました
彼は三十路に入ったばかりの
二つ目の若手ですが
とても達者な方です
古典がメインです(新作は観たことがない)
空気感がいいというか
色気があるというか
落語好きにはジャズ好きが多いと
よく言われますけれど
なんとなくわかります
話の内容より
テンポというか音楽的な部分に惚れちゃうんですね
ウイリアム・パーカーのベースのような
そんな感じかな

馬吉さんの「紙入れ」はここ

2月25日

物語に欲情する日々

人間の欲望の中で一番強いのは
物語欲なんだと思います
人はなんで物語を欲するのでしょう

テレビドラマ、小説など
日々架空の物語が大量に生産されています
ニュースという現実も
物語化され理解されます
数学や物理だってある意味物語です
物欲だって
その背後に物語があるから
その物を欲しがるわけで
物自体が欲しいわけではないでしょう
人は言葉を獲得した瞬間
世界をありのままに受け入れるのをやめ
物語として
間接的に受け入れることにしました
ありのままでは愛せない
物語というオブラートに包まないと
飲み込めない

安全地帯の玉置さんと石原真理絵さんの
二十数年ぶりの再会と電撃結婚は
物語なのか
ありのままの愛なのか
どっちなんだ!
という
下世話な話でした(笑)

2月26日

イブ・サンローランのオークションも
その芸術作品が欲しいわけではなく
その背後にある物語に価値があるから
これだけの高値が付くんですよね
プレミア、ブランドなどなど
経済を動かしているのはほとんど物語です
経済の破綻は
物語の破綻です

同じ物語で
再生をはかるのか
違う物語を
新たに持ち込むのか
物語を
捨てるのか

今後僕らはどれを選択するんでしょうか
(僕は物語を捨てたい派)

2月27日

待っているよ

待っている人がいるというのはうれしいことです
待っている家族とか
待っている友人とか
たとえ仕事だって
絵の完成を持っている人がいると思うから
なんとかなるわけです
自分の何かを待ってくれている誰かの存在
そして
それに応える意味でも
誰かの何かを待っていたい
これで世界は繋がります

2月28日

2月もあっという間に終わりました
今年は1月からいろいろな目に遭います
今日もすごい目に遭いました
ぜいぜい
今年はそんな感じなのかな
ま、何があっても
覚悟を決めて
黙々と絵を描きたいです